解離と乖離と、子どもの頃は人前で歌えない子だった話 #夜明けblog

日常と非日常のはざま

“昼”と“夜”を、つけることにした。

blogの、タグのおはなしです。

簡単に言うと、明るいのと暗いの、とか、前向きなのと後ろ向きなの、とか、アッパーなのとダウナーなの、とか、そういう分類。(語弊はあるけども)
あまり、二分とか二元論で切り分けるのが好きではないので避けていたのだけど、自分の書いた記事について、ざっくり属性で分けてみるのはひとつの指標になるような気がしたのだ。

あとで自分で統計をみて、この時期は昼に寄ってる(←たぶん、あんま無ぇな)とか夜に寄ってるなとか。
……うん、言うといてアレだけど、夕方ってのが出てきそうだ。(しかもそれが一番多そう)
というか朝もあるじゃん。めっちゃさわやかで前向きなやつ。そういうのだって書く。

 

そんな中で、解離とか乖離について、考えていたんですよ。
どうも、自分という人間がひとまとまりにならない。昼blogを書いている自分と、夜blogの自分が、同じ人間だということに対して自分の中で折り合いがつかない。乖離してしまっている。

たとえば、
仕事とプライベートと恋愛と家族と友達と……にそれぞれにペルソナがある、とか、
明るいキャラを作り上げてしまうと暗い顔が見せられない、とか、
あるいはその逆、とか
それぞれあると思うのだけど

 

私の、この感覚を言葉で説明するのが難しい。とても難しい。
端的にいうと、どうにも、「自分ではないもの」のためのスペースが存在しているような気がするのだ。

 

実は、このことについては何度も書こうと試みた。
だけど、それこそどうにもまとまらなくて書けないまま。

 

自分のことを、私はよく、「イタコ」と表現する。
これは主に歌う時の感覚でもあり、むしろ、これがなくては私は羞恥心の塊になってしまい、歌を歌うことなど叶わなかったであろうと思う。
元の私は「どうなの?」と訊かれても何が好きとか嫌いとか上手く答えられないし、感情や情緒の一切を見せることも、自分で見ることも苦痛な人間。
子どもの頃は歌はおろか、言葉のないピアノでさえ聴かれるのが嫌だった。
(とくに、家族など近しい相手に)「情緒が読み取られる」のがどうしても嫌で、隠すくせがついてしまっていた。それは地味にしっかりと、今に続いている。
だから今も、“私じゃない誰か”を招き入れなければ歌えない。

そして昨日気がついたのだけど、自分自身に肉薄してくる事象に対しては、解離感、離人感が起こる。あまりに、あまりに違和感がありすぎて拒否反応に近いことが起きてしまう。内臓が引っ掻き回されるような、そういう気持ちの悪さ。
(意外と、何かを守ろうとして起きているであろうこの「離人感」がファイアウォールとなって、様々な小傷から身を守ってくれているパターンは多そうな気がしている。あるいは、自分じゃないものを「降ろし」ていることで、それを外壁あるいは盾あるいは矛として身を守っているとか。
但し、現実感と引き換えに。)

……そんなわけで、「昼属性」のblogを書いている自分と「夜属性」のblogを書いている自分が、まったく溶け合わないで、別人のように感じてしまう。強いていうと、どちらも自分ではない。昼のヒトと夜のヒトが別々に現れて、自分という「ガワ」を借りて何かを語っている。あとから読んでも、これ誰が書いたんだよ、と思う。そんな感覚。

 

そしてこのことが、私そのもの、私の人生の根幹にまでぐいぐいと侵食しているような、そんな気がするのだ。
といってその侵食部分を取り除いてしまえば、腐って朽ちた木のようにスカスカになってしまうような。

 

……そういえば。
これによく似たもの。こないだいわきの郷土館で見たぞ。

ほら急にマニアックなやつ出てきた←

これね、珪化木。読んで字の如く、珪化した木ですよ。(って、わかるかーい!)
珪ってのはまあ、石英と思ってくれればいい。
朽ちた木に水晶が染み込んだものなんだよね。木らしい模様が残っているのに、磨くとつるつるになる。
(元々好きな鉱物なんですよね、これ。。すごい見入っちゃったこの大きさテンション上がる〜)

 

元の木と石英は、こうなるともう不可分で、新たな名前とアイデンティティを取得しているのだ。
なんとも示唆深いではないか。
その石英に何を映そうと……、

 

ことの答えは、もう少し先の景色を見てからで良い。
空洞かもしれない。だったらなおいっそ、それらしく振り切れれば良いのだ。

 

そんな覚悟くらいは持って生きなきゃ、勿体無い。
一日また一日と、生命の砂時計は音もなくさらさらと流れ続けている(そういえば、砂時計の砂も石英だ)。
決断も行動も、ただ「選択」の連続に過ぎないならば、いっそ心が喚(よ)ぶ方へ分け入って、道なき道を進んでみれば良い。
自身を定義するのは、きっと最期で良いのだ。

 

───早速、このポストに朝昼夜のどれをつけていいのか悩み込んでしまって、結果、「夜明け」ってつけた。
うん、まあ悪くないであろう。

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