テグレトールと鏡の世界

日常と非日常のはざま

テグレトール、という薬がある。
ぐぐると「抗てんかん薬」と出てくるが、要は神経的な痛みに処方される薬、だったと思う。

こいつが、飲むと、ひどくめまいがするのと、(人によってだとは思うが)音が下がって聴こえるようになる。

そういう副作用は、咳止め(名前は忘れた)で有名らしいのだけど、「テグレトール 音 低く」あたりで検索してもちゃんと出るので、ご興味ある方は見てみてください。

 

で。これを飲んだ時はまあ不思議な感じだった。
まず鍵盤を押すとほぼ半音、きれいに下がって聴こえる。音楽を聴いてももちろん低い。
同じ曲のスタジオ版とライブ版で元々キーが違うものがあると、「おぉ、これスタジオ版のキーでライブじゃんw」とか、これはちょっと楽しかったり。

音楽だけではない。救急車のサイレンははじめからドップラー感だし、FAXが送られてくる音も、人の話すトーンも、換気扇のまわる音も、ぜんぶ低い。
とても気持ちが悪い…のだけど、なんとなく面白くなってくる。
いつもと同じなのにほんのちょっとずれた世界。現実の中のたしかな違和感。とても不思議な感覚。

それは、たとえるなら子どもの頃、鏡の世界に入ってしまったら?と考えた時の不思議さに似ていた。
自分が鏡の世界に入ったら、きっと全く違う景色にみえるのだけど、全部が余すことなく反転して、もちろん自分も例外ではなくて、それで辻褄が合ってしまうから、きっと何も不都合はなくて。
ただただ違和感があるのに、自分以外の人にそれを説明する言葉も証明する手立てもない。
そのうち自分さえも慣れてしまって、もうその事実を「感覚的に」知る人はいなくなるだろう。

すると、「事実」はどこへ消えるのだろう?
……ということに思い至ったときの、あの、少しゾクッとする感じ。

音は、目に見えない。摂理や理屈や理論はあるけれど、それがみんな手を繋いで「せーの」で半音下がれば、なんの齟齬もなく世界はつづいてゆくだろう。
そのとき、私はいつまで違和感を持ち続けられるだろう?
きっと誰にもそれを示せないまま、パラレルワールドを生きてゆくのだ。……

いや、もしかしたら。
自分が忘れているだけで、既に次元の“渡り廊下”を越えちゃったことがあるかもしれないじゃない?

 

 

────上がりきらない血圧のせいで、あの時とよく似たぐらぐら感がまとわりついていて、今日はふとそんなことを思い出した。
テグレトールをやめて2、3日で音は戻ったが(うーん、そう思い込んでいるだけかもしれないw)、あの時の「事実とは?」の答えは主観の世界に置き去りにされたままだ。
それはたぶん「人は死んだらどうなる?」の問いとよく似ていて、私はなんとなく、残ったテグレトールを捨てずにとってあったりする。

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