ネコのしっぽ

思うこと

「世界ネコ歩き」という番組の存在は知っていたが、観たのは初めてだった。

猫たちの日常をただただ撮る、それを観る、それだけなんだけど、そう、まじまじと見てしまうのはなんなのか。
顔がかわいい、仕草がかわいい。勿論それもある。
だけどそれ以上に、生まれながらにして肉食でハンターで忍者な生きものの、奇跡的なバランスと洗練された動きに目を奪われてしまう。
すごく不安定で急勾配な屋根の上を、器用にしっぽでバランスを取って難なく歩いたり。音もなく急停止したり。
なんて美しい毛玉でございましょう。

 

 

自分がこうしてblogを書くのは、朝か、夜が多いな。と思う。もっと言うと、寝起きか、寝つけない夜か、だ。
ことに、HPがゼロにちかいここ数日は、なかなかピアノに向かうこともできず歌うこともむずかしく、いつものように夜を散歩することもできずに悶々としている。
HPの低下はMPをも削っていく。
そんな時、たとえペンを持つことすらできなくてもスマホを手にとるだけで、ちょっとだけ血圧が上がる感じがする。ここに、自分を発露する場所がある、という安心感。
むかしの人はどうしてたんだよう、と思う。起き上がって硯と墨用意して正座して、なんてむりだ。まず腕の痛み(放散痛?らしきもの)で上手く持てない。スマホあんたすげえよ。しかもこのまま全世界に繋がってるんだぜ。わお。

とにかく、(本来ならば)歌ってさえいれば(それもむりなら)なにかしら言葉を書き綴っていれば、それでなんとか心の生命活動が維持出来る感すらある。

たとえ、めっちゃめちゃ孤独でも。逃げ場がなくても。
そういう時期も、やっぱり馬鹿ほど何かを書いていた覚えはある。
言葉はどうしてこれほどまでに、心を救ってくれるのだろう。
聖書の「はじめに、ことばがあった。」の示唆はめちゃくちゃ深いんじゃないかって実は思ってる。
ことばがないと、私たちの存在はぐずぐずなんだ。社会のきめたカテゴライズではないところでも、やっぱりアイデンティティに大きく寄与するのは言葉だと思う。
わたしたちには、いえることと、いえないことがあって、だからこそ、言葉はとても精妙で、不確かさをあらわす確かさとしてのたったひとつの触媒なんだと思う。

だから私は言葉に縋る。

ネコが、丸太の上を器用に歩く。身の傾きに合わせてしっぽをうまく使い、バランスをとって。

私にとって、なにかを書くということはネコのしっぽと同じ役割を持っているのかもしれない。
そのしっぽをふしきがってじゃれつく仔ネコは、あるいは、今読んでくださっているあなたかもしれない。

コメント