透ける

日常と非日常のはざま

職場のある建物から一歩外に踏み出したのに、思いのほか暑くも寒くもなかった。
室内と、外気の温度がちょうど同じくらいというのは、この季節でもあまりないような気がした。身構えていた分、肩透かしを食らった気分だ。

空は晴れてもいないし雨でもない。

気の晴れない日は、歩くことにしている。
音楽があれば捗るが、少し、水底へゆるりと潜り込みたい時には、スティーリー・ダンを。
殊更に落ち込んでいる日は、耳にパット・メセニーをねじ込む。

……落ち込んでいる、というのはすこし違う気がする。
なにか濁ったものが、自分にまとわりついているような感じがする時、というべきか。

裏通りは人通りが少なく、といってこのビジネス街にはそれなりに飲食店も多かった。すきまのような通りの道沿いにもそれはぽつぽつと編み込まれ、白熱灯のあかりと喧騒とが路地を照らしていた。
馴染み客であろう男の馬鹿笑いも、一瞬は耳に刺さったがすぐさまメセニーが押しのけてくれる。
風を切るように歩きながら、肩や足や首筋にこびりついたなにかを振り落としていく。一歩ごとに身が軽くなるような、澄んでいくような気がする。

うたのない音楽を聴いていると、自分が透けていくような感覚になる。
存在が霧散する。ただ、右、左、と規則正しく繰り出されるつま先の気配だけを残して。
それが心地よかった。
自分がこれほどまでに胡乱であるということを、すぐに忘れてしまうんだ。と、独り言ちる。

右、左、右、左、右、左、……

やがて意識は更に遠く、時空を超え、闇に紛れて歩いたとある日に、また夕暮れの川べりを歩いて赤に染め上がっていたあの日に……あるいは、土砂降りに遭い、身体を盾にノートや楽譜を守りひたすらつま先を見つめて歩いた日に、重なる。

いま歩いている時間軸がどこなのか、いつなのか、曖昧になる。
その感じが、少し怖くて、不安で、たよりなくて、たまらなく好きだった。
自分が、ほんとうの姿にかえる気がする。
もともと、なんの意味もなく、なんのつながりでもなく、なんの系譜でもない、過去のない存在。
そう成ったのにはわけがある。
それを、自ら選んだのはいつからだったか。

わたしがいま、歌えるとしたら、こういうことでしかない。そのことをよく知っている。
透けた存在に、自分ではない何かを迎え入れること。
そういう風にしか、わたしは、成れない。
ゆだねることの弊害も、身にしみているけれど。

このまま溶けてしまうといい、と思う瞬間がある。
立ち止まらずに歩いていることで、きっと屈折率が遅れをとって姿も隠してくれる。そんなこと、あるわけないのだけど。

どこかでサイレンのような音が唸っている。

言葉もなく、だ、

時の儚さを思う。
喧騒のない夜のビルの隙間に、耳を塞いで静けさを流し込み、時折、十字路の隙間から覗くきらびやかな窓の蠢く人いきれに、催すのは拒絶か羨望か?
不躾に広がって歩く酔っ払いたちの顔を、よけもせずにすり抜けたけれど、これは反抗ですらない。
ただ道なりに往くだけなのだ。

大通りへ抜けると、タクシーの群れがいくつも、残像のように連なって右折するのが見えた。
わたしは何度も、この道を通る昨日までのいくつもの自分の影を見る。
過去はきっと逆位相なのだ。だから、重ねてしまえば現在が消える。
悲観的になっているわけではない。憂えているわけでも、ない、と思う。
ただ、透けていくような気がするだけだ。
そしてときどきちらつくのだ。まだ見たこともないはずの、やけに懐かしい風景や、暮らしたことのない時代や、知るはずもないぬくもり。
いつか、手に入るとしてもそれは生きているうちのことではないだろう。

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