楽しいことばかり増えていく

思うこと

と、ふんわり思っていると、いつの間にか実際そうなっていくような気がしている、haLunaですこんにちは。

 

それは、あなたが恵まれているからじゃない?
と思う方もいらっしゃるかもしれません。

 

その通りですよ!( ̄∇ ̄)
実際、その通りなんだと思います。

 

さて、
上昇志向には、幸せの閾値が高いのと低いの、どちらが向いているのでしょうね?

 

 

時々振り返るんですけども。

私は、幸せの閾値が
人よりちょっと低い部分と、とんでもなく高い部分が混在しているのだと思います。
むしろ、とんでもなく高い部分をひとつ持っているからこそほかの部分が低いのかもしれません。

 

あ、求めるものがハッキリしてるって、こういうことなのかもしれない。

 

年を追うごとに、シンプルに、楽になっていっているなと、
それでいて、日和見というわけでもなくむしろ研ぎ澄まされていっている、とも思ったり。

 

それは、
早い時期にドロップアウトを経験したり、自ら降りたり、別の道から自分で選んでまた登ったり
そもそも、持っていないものが多かったりで

 

私はちょっと特殊な生まれ育ちをしていて、今それを詳しくここで書くことはしませんが
人が当たり前に持っているであろう前提条件や、日常という感覚や、常識的なふるまいや、人が人を思いやるということを身につけるのに、ゆうに20年はかかりました。
身につけたとは言ってみるものの、きっと今でもおそらく「似て非なるもの」なのだとは思います。

 

教えてくれた人、受け入れてくれる人がいて今に至ります。
そこに常にフォーカスがあるので、もうなんというか、感謝しかないというのが実のところ。

 

(ええと、人より苦労しているという意味ではないですよ。
むしろ、人がするはずの苦労はどちらかというとすっ飛ばしてきている…。その分、地に足がついてない感じはある訳ですが)

 

なんで自分だけ、と思っていた時期も大いにあります。
でも、ちゃんと人と向き合うことをおぼえて、それでいろんな人と接するようになると
どんなイージーに見えるような人でもその道を100%もがいてきてるわけで

あなたにはないしんどさが私にあるのと同じように、私にはないしんどさがあなたにもある

が、ほぼ誰にでも当てはまるんだろうな、と自然に思えるようになってきて
そうしているうちに「私だけ」という思いは薄らいだような。

 

──そういえば、「悩みがなさそうでいいね、あなたは」と言われると昔は傷ついたものだが、
今はそう言われると「よっしゃ!」と思うようになった。
勝利というものがあるとすれば、こういうことこそが目に見える証なのだ。私にとって。

 

 

上昇志向的といえばそうなんだけど、
ガツガツしてないのかっていうともうこれ以上なくガツガツしているようなことなのだけど、
もうこれは私の本心からの欲求にだけ従っていることなので、あまりそういう感覚は正直ないです。
音楽の道を突き進むこと。
こつこつやること。楽しむこと。
誰かと共有できたらこれ以上なく幸せ(まだ、夢のような遠ーい話に思えるけれど)(ここらへんは、澱のように残った卑屈さでもあるのだと思う)
夢中になってやっていることが続いていけばいいと思うし、それを少しずつ人にも求められるようになってきていることは自分にとってものすごいこと。(なにしろその20年やそこら、「ひとり(のつもり)」で音楽と過ごしてきたので)

 

あーー、世界は広い。
一歩外に出たら、いろんなことが起こるんだなって。
それらすべてが、おそらくは、全部私に微笑みかけるのだなって。(短期的には、そう思えないことのほうが多いが)

 

で、気がつけば、わりといい感じのペースで
わーいありがたいねーヽ(;▽;)ノと言いながら目の前のことを一生懸命やってるうちに
まさかこんなご褒美がもらえるとはなぁー、ということがどんどん増えているような気はする。
誰かから見たら、やっぱり小さなことなのかもしれないけど、…いや、そんなことないか。

そう、思ったより上昇できている。思ったよりは。

 

人生において、
いつ、何を失うか、何が奪われるかって、本当に分からない。
もともと「持っていない」ところからはじまって、失うことも沢山経験して(これまた詳しくは言わないけれど、幼少期〜成人するまでの間、私の身近には自殺と殺人が数多くあった。それまでの世界が根こそぎ奪われるということが何度も起きた)(←このことからだけでも、私が今「恵まれている」と即答できる理由が少しわかっていただけるだろうか)、
今は身に余るほどのいろいろな幸福と、至らない自分がいて
それらのどこに軸足を置いていればいいのか、と考えた時に
その価値観を自分に置いていること、自分自身の在り様の中でしかないな、と思った。
それは、つきつめれば、音楽と、言葉だ。
ひとの魂がどこにあるのか、誰にも見ることはできないけれど、きっとそれが宿る場所が誰にでもある。

 

 

幸せか不幸か?と聞かれると、
未だ病院にかかりまくっているし咳喘息が2年も続いてるし、
心臓も弱いし、
歌えない日が続くとほんとうに病む。
幸と不幸をどちらかに二分して訊かれて、考え込んでしまうと、そんなもんわからない。
どちらと答えても、それはすこしいびつな気がする。

 

聖書によると、神はご自身に似せて人間をおつくりになったという。
でも、クリスチャンの仲間と話していても(きっとこれから言うことに、大いに頷いてくれると思う)、マイノリティに見える人マジョリティに見える人どんな人と話していても
人間は、ちょっと欠けてつくられている。で、それでいいんだ、と、そう思う。
欠けたところからアートが生まれ、言葉が生まれ、私は彼ら彼女らのそれをとても愛しているので
あぁ、ひとだ、あたたかいいきものだ、
と思える、
これはまちがいなく、「幸せ」なことだと思う。

 

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