やたらと打たれたり自ら落ち込んだりするのは、あなたが出る杭だからでも正しいからでも、ましてや優しいからでもありません。

思うこと

それは、勝ち気さを持っていながら、
「気を遣って」「譲歩して」いるつもりで隠して、
そのくせダダ漏れだからです。

隠したつもりの(💢’ω’)←イラッ、しっかり見えてますよ。

それね、隠しているのは相手を思ってじゃないの。自分のためなの。
譲りたくないし否定されたくもないから、口チャックしているだけ。
もっと言うと「いい子ちゃん」になっているだけ。

また、そういう気持ちを持ちながら隠して意見を言う時って、
対話する気のない投げかけなんですよね。
たとえそれがどんな素晴らしい意見でも、
果たして、人は対話する気のない人の言葉を聞こうという気持ちになるでしょうか?

 

 


自分の欲しい言葉だけを貪って、言葉がすっと腹落ちして満足したわりには、
またしばらくしたら同じようなことで人とぶつかったり、頻繁に落ち込んだりしていませんか?


 

それ、自分の強情に気がついていないだけです。

「人の言うことなんか気にしない」
「批判されることなんて怖がらなくていい」…
それも大事なことです。
ではそれを自分に言い聞かせ続けているあなたは、実は何と戦っているのでしょうか?
どうしていつまでも、人を怖がるのでしょう?

それは、違和感に気づいていながら、自分自身が自分の心を認めていないからです。
本当は、認めてもらいたくて仕方がないのに。

できもしない「宣言」は捨てましょう。
受け入れられたい、好かれたいなら、その思いを押し込めるのはやめよう。
押し込めている限り、あなたはその呪縛から逃れられない。

自分自身が柔らかく居られないような「正しさ」なら、一旦肩から下ろしてごらんなさい。
自分にとって本当に必要な「正しい」ものは、しがみついていなくてもちゃんと残るから。

 

 


「聞いてるようで聞いてない」人、
「一旦受け入れたフリをする」人、
「柔和なようで実はイライラしている」人、
全部、バレてます。


 

自分の意見、自分の感じ方を持ってはいけないと、誰に教わりましたか?
言っていいんですよ。そんなに身構えなくても。
どうせバレているのだから、出しちゃったほうが潔いってもんです。

勝ち気さに対して抵抗なく素直に表現していれば自己矛盾は起こらないし、
それに、案外、叩かれないもの。

抑え込む可哀想な習性を他人に転嫁して、
ひそかに被害者でい続けるのはやめよう。

あなたの正しさは誰にも侵されるものではないし、
また、誰かの正しさを否定する必要もないのです。

その静かな否定こそが「強情さ」であり、むやみに打たれ自ら折れる杭なのだから。

 

あなたの荷を軽くするのはあなたです。

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