easeからcomfortへ。令和もよろしくお願い申し上げます。

project1year
新元号おめでとうございます。

令和は徹底的に自分を甘やかーす!との掛け声とともに、その助走期間として実施したモラル・ライセンシングの月でした。

この期間を総括してみると、4月の漢字は「楽」であった。

ラクをする、楽しむ。
自分にとってこれは「感覚の棚卸し、洗い出し」のようなものだった。

モラル・ライセンシングからcomfortへ

それは、今、私が感じていることを過不足なく受け取る練習。
デフォルトで負荷のある、無理してしまうフィルタをいかに外すか、そして外した先に実際どんな感想や欲求があるかということをまず知ること、気がつくことというのが、この一ヶ月だったように思う。

さて、
「楽(ease)」からさらに一歩踏み込んで、5月は「快(comfort)」をテーマに進めていこうと思っている。

“comfort”について考える

実は、幸せってcomfortを突き詰めたところにあるような気もしている。

何が快適か、何がてきていないと快くないか。
快くないことを考えてみると、

 – 人に自分の時間や空間を奪われている(と感じる)
 – 自分のいる空間が雑然としている
 – タスクに追われて一日が終わる、の繰り返し
 – 汗をかいているのにお風呂に入れてない
 – 挑戦できていない、鬱屈している
 – 体の不調がある

こんなところだろうか。

自分の場合はここに「気持ちよく声を出して歌えていない」なんかも入る。

ラク=快かというとそうとも言い切れない。
(楽しい、はほぼイコールかもしれない)
ラクは必ずしも自分を望む人生に導くとは限らないものの、快さはわりとバロメータとしては優秀な気がしているのだけど、どうだろうか。

comfortとspoil

ところで、なにかについて上達を目指すときの手法として「コンフォート・ゾーンを出る」というものがある。
自分がちょうどよいと思える負荷よりも、少し高めにかけてみる。
自分が確実に出来ることから一歩外に出て、難しいことに挑戦してみる。
など。
これは有効……というか練習をする時の負荷を考える基準といってもよくて、
負荷がなさすぎると停滞するし、負荷が高すぎても効果的に働かないというのがざっくりとした概要なのだけど、

言葉の原義から考えると、この場合のcomfortは、spoilに近いような感覚がある。
spoilとは、過度に甘やかす、役に立たなくする、だめにする、という意味の言葉だ。
(なんとなくイメージが伝わればいいのだけど)

まさに「ラクチン」と「快い・心地好い」の、微妙な、でも決定的な違いがそこにあるような気がしている。

コンフォート・ゾーンを出る必要はあるのか

さて、心底、comfortableであることを考えた時。

自分の場合、歌に置き換えるのがわかりやすいのでそうしてみると、

得意な歌ばっかり歌っているのは確かにcomfortableである。

でも、本当に100%comfortableに感じているなら、別にそこから出る必要はない。
そのちょっと外側に出るべきだと判断するのは、自分の心がそのもっと外側を求めているから

どこか、歌えてない、歌いきれてない、歌っていて苦しい、表現しきれてない、もっと使いたい技術がある、と思うから、
心底、comfortableじゃないから、そのゾーンから出ようとするのだと思う。

もしも技術的にコンプリートしていたら、
あるいは、完璧でなくとも「私はこれで十分」と思うなら、
(いわゆる)コンフォート・ゾーンにいても誰にも咎められることはない。
文章を書くことに関しても、ほぼ同じことが言えると思う。
もっといろいろ書きたければ、自分で広げていくしかないし、今のテイスト・内容に満足しているなら毎日好きなことだけを書いていればいい(noteにはそういう人もきっとたくさんいる)。研鑽だけが正解ではない。

comfortである、とは

たとえば、上に挙げたような事例の一つ一つをとって、

それがひとつでも欠けていたら快適ではないのか、
ひとつでもできていたら快適さを感じるのか。
あるいは、項目によってプラスのものとマイナスのものがあるのか。
はたまた、comfortableとはまた別の軸が存在するのか……そういったことも確かめつつ、
今月のテーマをそのあたりに置くことにしてみた。

私自身は、実を言うとあまり上昇志向が強くないので(たまたま目指しているところが上昇しないと到達しないところだから、擦り合わせに苦労しているところも)、ガンガンいこうぜっていうふうにはならない。

ただ、没頭はする。没頭しているときは局所的に快いけど、その分他のところが手薄にはなる(部屋が散らかり放題だったり)。

没頭しているときは間違いなくspoilの範囲からは逸脱しており、かつcomfortableである。
自分としての最適解は、そのあたりにありそうだ。

「令和」によせて

万葉集「梅花の歌」
初春の令月にして、
気淑く風和ぎ、
梅は鏡前の粉を披き、
蘭は珮後の香を薫す。
何をするにも、何を始めるにも佳い月。

「令和」という言葉の響き自体、涼やかで、にごりがなくて調和がとれていて、comfortと親和性が高い、と感じるのは、私が”comfort”という言葉の響きや空気感を、とても好ましく感じているかもしれない。

うん、そうだな。私にとってcomfortな場、時間、行動。そして、誰かにとってcomfortableな私、でいたいという願いは、いつも持っている。

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