新月なので、振り返りをします〜Project 1 Year〜
こんにちは、haLunaです。
↓ここで始まったプロジェクト、中間報告その4です。
誕生日の誓い!! その1〜私が(夏前から考えていた)(正確には一度、人とやろうとして頓挫していた)プロジェクトについて
そして誕生日の誓い!! その3〜プランと、見守ってほしいこと
3/28の下弦の月から約1週間が過ぎました。今日は「誓い」から数えて5つめの月の新月です。
レビュー(振り返り)をしつつ、満月の日までさらにブラッシュアップしながら積み上げていきましょう。
いよいよ折り返し地点ですよ
先週、無事にお芝居本番が終わりまして、昨日抜け殻今日底なし沼の精神状態をさまよっておりましたが、なんとか淵まで復活しました(でも淵)。 それで、ここらでちょっと整理してみようと。あと一ヶ月で、プロジェクト半分。
実際、どうなのよ? という。
自分なりにやってみての所管
……実のところ、このプロジェクトに真剣に取り組んでみての半年近くで得たものといえば、ほとほと、自分の特性を思い知ったことと、思っている以上に多くのことを課しすぎて身動きが取れなくなっているということだった。
最初の数か月、まずはやりたいこと(音楽制作)をやるよりも先に、生活をきちんと整えよう、と考えた。
だけど、その「まずは」が、とんでもなく大変だった。
不規則な睡眠をなんとかしようとして睡眠導入剤が手放せなくなったり、
行動を「決めごと」や「義務」にしたら、却って自分を追い詰めたり、
型を決めればやるかと試してもすぐ逸脱しようとしたり、
そういう自分を「責任感がない」「いい加減だ」と責めて、自己嫌悪に陥ったり……。
正直、ことごとく、うまくいかなかったと思う。
そんな中、自分についてひとつ分かったことがある。
気持ちに忠実にしか動けない、という自分を再確認した
ちゃくちゃダメと思われるのを覚悟で言うと、私はどこまでも、意に沿わない事はできない人らしい。
ギリギリ、社会人としてであれば意に沿わないこともできたのは、
自分のMPをガリガリ削りながらもそこが「自分が主体ではない場所」であり、意識的に歯車に徹したからだった。
自分に決定権があることとなれば、全く、全然、頭も体も働かないどころか謎の拒否反応が出る。熱が出る蕁麻疹が出る咳が出る。
やっている人から見れば甘えなのだろうと思う。
けど、ただ「やる」、たったこれだけを守る、ということが力技では絶対に無理だということを、この半年、本気で向き合ってみて実感した。
(この半年の目標はまさに「決めたことを愚直にやる」というものだった)
むしろ、これまでの人生でここまで粘ってトライしたことがなかった。この再発見は新発見である。
うんうん。有意義じゃないか。
気分やモチベーションで行動を決めることの是非

このプロジェクトをスタートする前に、あちこちでそのような文言を目にした。
うむうむ、たしかに!
そう納得して始めたものの、いざやってみるとどうしても、気分やモチベーションを行動から切り離すことができない自分がいた。
なぜなら、私は気分やモチベーションで心が燃えているときだけ生きていると感じて、それ以外の時間は残念ながら心が死んでいる、たすけて、と感じてしまうタイプの人間だったから。
その感覚を思い出すたび皮膚が粟立つのを感じる。
癇癪とか、ヒステリーに近い感じかもしれない。
とにかく、しんどいのだ。
にもかかわらず、(このプロジェクト以前から)私は自分に対して
「こうあらねば」
「これをやらなければ」
そして
「これくらいできなきゃ」
ばかりを課してきた。
喜びが一瞬後には枷になる、そういうことを「やりがい」「達成感」の正しい感じ方だと信じて、そういう人間になれる日を夢見てきた。
後半戦は「思いっきり気分を優先する」実験

まるでブラック企業のような人生が、この先も続いていくだけだと思う。
「よかった。私、だめじゃなくなった」
と思うために、そこまで頑張れない。
だから、行動を180°変えてみることにした。
私は令和元年、徹底的に自分の機嫌を取ります。
自分の機嫌を取って、自分を操縦する方法を学んで、自分の気分を「生」に振れさせて、そして夢を叶えます。
ヘタレと言われたって構うもんか。自分褒めます。褒めてくれる人探します。肯定してくれる人と付き合います。
存在肯定込みのダメ出しならなんぼでも聞けるのも、自分で知ってる。
あなたのこともまるっと肯定します。褒めます。てか、これはもうずっとやれてる気がするから、そういう気持ちを自分に向けてやりたい。
半年かけて人生を超イージーモードにしてやるんです。付き合ってくれる人、募集中。
でも、前半戦で身についたこともこんなにありました
- たすくま(タスク管理アプリ)が完全に生活の一部になったことにより、日常的な行動に取り掛かるのが格段に楽になった
- 家計簿をきちんとつけるようになり、お金に対する意識が高まった
- 連絡がきちんとできるようになった
- 毎日、何かしらアウトプットできるようになった(「毎日書くよ!」の宣言のあと、ブログに限定せずに発信は続けていたりします。ちょっといろいろ棲み分けるようになった)
そういうことの積み重ねがあり、できなかったことによって自分自身が映し出されて今日がある。
まとめ
この無理なプロジェクトを首の皮一枚であきらめずに続けてきてよかったと思うこと。それは、見守ってくれる人たちがいて投げずに済んだということです。
投げずに済んだから、一歩一歩、自分の本当の課題に近づきつつある今日がある。
どぉんと上昇するつもりが、掘って掘ってこんなに海抜を下げることになるとは思わなかったけど。
ひとりだったら、この沼に膝まで浸かったあたりで諦めて、これまでいた陸地に上がっていたと思う。
投げないということだけは、後半戦も守っていきたい。
仲間と友には、感謝しかないです。本当にありがとう。
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