まいにち書く、の思いがけないハードルについて書きます
そもそも、迷いがあると筆が止まるんだってば。
さもなきゃ「毎日、そこに座って、書き始める」を目標にしないと続かないんだって。
きちんとした記事を書けたな、と思う時はそれなりに達成感がある。こんどはその達成感が枷になる。同じ手間をかけた、同じかそれ以上のクオリティのものでなければ「書かない方がマシ」だというような。
ここまで、まあまあ蛇行運転しながらきているなと我ながら思う。
とにかく始めてみたところから、更新が滞る時期があって、毎日更新すると宣言して100日以上はまあ続けて、そのうち「内容が薄くなった」と感じて迷って、
きちんとしたものを書くって言い出して、カテゴリを整理するってお休みして、結局やらなかったり
やっぱり自分の本分はブログじゃないから、毎日って自分に強制するのはやめようって言ったり、それはそれで離れがちになったり……。
「やりたいことなら、そんなこと関係ないでしょ」っていう話ではなかったりする
これ、「ほんとにやりたいことなら強制しなくてもやるんじゃ」って思ってしまいそうになるけど、そうとも限らないんだよな。
「作業」や「成果物」の行き場が決まっていないと、止まってしまう人なんですよね、なんでも。
どういうことかっていうと、「書きたい」と思ってもどこにどう書いたらすっきりするのか見えていないと、書けない。そういうタイプなのだ私は。これが、決めていないことによっても、決めてしまったことによっても起こる。
体裁とか、文体とか、その他トンマナ的なこと(トンマナというのは、ターゲットや企業の意向なんかに合わせて記事のトーンや、敬体か常体かなどのマナーをそろえることです)がぼんやりしていると困る。
決めていないなら決めていないなりになんとなく揃えるのだけど、一度決めてしまうとそれを守りたくなるし、決めたものを外すと「じゃ、どうするの」っていうところがはっきりしないと次の一歩が踏み出せないのである。
そもそも、どうして「ちゃんとしなきゃと」思った?
いい加減なことをして、人に飽きられるのが怖かった
どうして「テーマをきめよう」とか「ちゃんとした記事にしよう」と考えたかというと、結論から言えば初めはやさしさと興味本位で覗きに来てくれたであろう一見さんや友達が離れていくのが怖かったから。
つまらないことを書いていると、そのうち飽きられる。来てくれたからにはきちんと「情報」や「ここちよさ」「おもしろさ」を持って帰ってもらわないと、いずれ誰も来なくなってしまう。そういうふうに考えたからだ。
だけどここには決定的に欠けていた視点があった。つまり、私がここで何をしたいのか、どうありたいのかということだ。
私、何屋さんだっけ? シンガーソングライターですよね!!!
ブロガーでもライフハッカーでもない。有益な情報を見つけ出してまとめて発信するのは、それをこそやりたい人の仕事。
一周回って、やっぱり毎日書くことが大切だって思った件
だって、毎日起きることをコンテンツに……、んと、作品にしていくっていう視点は、実はアーティストにこそ大切なことで、そこには余計なものを省いてエッセンスを伝えることとはある意味逆の、余計なことこそが物語になっていくという現象があって。
やっぱ、好きなことを好きなように書くことが一番大事なことなんじゃん、と思う。
リアルタイムドキュメンタリーをここで書くのだ、と最初の頃に言った気がする。それって、歌を作る私には特に、うってつけのことだったんだなきっと。
このことには気づきが盛り沢山でして
好きなことを好きなように、好きなだけ書く。そこの原点回帰には気づきがほかにもあった。
それは、今日ここで書いた自分の課題が全部、音楽についてもいえるということ。
「人が離れていったらどうしよう」と思って、整った(つまらないかもしれない)ちゃんとしたものを作ろうとしてしまうこととか。
「作りたい」と思った時に、いろいろなことがよぎって気持ちよく取り掛かれないこととか。
余計なもの、をたくさん込めて作品にする、それを続ける、ということができないとか。
表題のとおり、毎日を「名作」にしようとして、それ以外を捨ててしまうんだよね。それってあとからついてくる、人が、時流が決めるにすぎないことなのにね。
おはるは今日も迷走中です。でも、何ミリずつかは進んでいるかな。
コメント