悩んだり迷ったりした時に、それを残していくことの難しさ。

project1year

どんなに「最初のハードル」を低く設定しても、形になりきらないものを発信していくことのハードルを自分で下げていくことは難しい。

これが一体誰の、なんの役に立つんだろう? と考えてしまうと、それだけで進むのが難しくなる。

とはいえ、何かを書けばどれだけ久しぶりでも、なにも宣伝しなくても見に来てくれる人がいて、見たよと言ってくれる。それがこれまでやってきたことの積み重ねの結果でもあり、集まってくれる人がいるというありがたさでもあるのに、自分はうまく表現ができない。

自分に求めるように、状況や環境にも「こんなんじゃまだまだダメだ」を求めてしまっているのかもしれない。それってすごく失礼なことなのにな。

わかっていても、難しい。

自分を大切にしないことは、自分の周りの人を大切にしないのと同じことだと、わかっていてもなかなか難しい。

自分を大事に出来ればもう少し、自分の身の回りのことを整えることができたりするのかな、とも思う。どうも、「自分には(整った環境で過ごすような)価値がない」と思っているところがあるのかもしれないと感じるので。

自分と思い切り向き合う羽目になると、いつもこういう自分にぶちあたる。避けて通れないことではあるのだろう。

いつも思う。自分はどうなりたかったんだろうと。

ひとつでも風穴をあけたい。それが音楽ならいい。

苦しくなくなる日はいつやってきて、この閉塞感はいつ終わって、どうなれば私は「生まれてきて、よかった」と思えて、やらねばならないことを詰め込んでいないと安心できない自分から解放されて、それを怠け者と罵らずに済んで、頭痛が止んで、咳が止まって、今日一日を満足して、安心して眠りにつくことができるのか。

こんなことを考えるようになったのは、ブログを更新していない間に自分と向き合って掘り下げていたから。そのことを経て、(わかっていたけど改めて)これがとても根深いということがわかってきたから。

何度トライしてもそこの壁にぶつかるのだから、毎日攻略して、もちろん一日でクリアできることなんてないから不完全なまま一日一日を終えて、それを発信していくしかないって思ったからです。

そして、以前毎日ブログを更新していた時はたしかに、一定の安定感のようなものがあって。綺麗にととのっていなくても、1行しか書けなくてみっともなく無意味に感じても、あとから見たらやっぱり意味のあることだったと思うから。もう一度、「毎日ブログ」を再開しようと思います。

前回もそんなことを書いた気がするけど。不完全でも出すっていう覚悟が出来てなかった。幸い、ベッドから一歩も動けなくても更新できる環境を作ることができた(今、この記事はKindle FireとBluetoothキーボードで書いています。かなりいい感じ)

伝えたいことがたくさんある。

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