こんばんは、haLunaです。
昨日、こんな記事を書きました。
自分の土台の脆弱さに気づいた私が一念発起、すべての「やりたいこと」を放り投げて
自分自身のシステム化
に手をつけたというお話。
この計画は、とあるクローズドなコミュニティでの軽率な思いつきからはるたんオートマタ化計画と名付けられることになる。
プロジェクト「はるたんオートマタ化計画」
オートマタとは、自動人形のこと。
昔のヨーロッパで作られていた、機械仕掛けで動く人形である。
私はこの10日間で、自分をあえてそのような機械人形になぞらえて、徹底的に仕組み化・自動化を目指してみることにした。
仕組み化、自動化とはつまり、昨日の記事で書いたような、生活や人生の土台、基礎となる部分を「がんばらなくても回る」「意識しなくても実行されている」状態にするため、一つ一つをシステム化していこう、という試みである。
わざわざ手間をかけてシステム化するほど思い入れがない?
そう思う人は多いかもしれない。
これから何回かに分けて話すことは確かに、ある意味偏執狂的なほどに自分の行動記録をとってみたり、ビジネス書的なものを読みあさったりという、すごくまわりくどくて、手間のかかることだ。
そこまでやれるほどの「情熱」がないよ……と思われるのもわかる(私自身、これから書くつもりでありながら、ドン引きされないかとドキドキしている)。
だけど結論から言ってこれは決して「情熱」を費やすための行動ではないし、むしろ逆だと今は感じている。
スキンケアとPDCA
突然だが、私はけっこう、スキンケアにこだわりがあるほうだ。
肌の状態に気を使う人や、あるいは皮膚が弱くてケアをする必要がある人は、顔を洗うものや肌につけるものをよく選んで使っていることと思う。
これは考えてみればまさにPDCA(Plan→Do→Check→Action)のサイクルを自然に取り入れているといえる。
ものを選ぶのに店頭や公式サイトでテクスチャや成分を見たり、実際にテスターを試したりして選び(Plan)、実際にしばらく使ってみて(Do)→そして鏡で毎日自分の肌をチェックし(Check)→合わなければ、合わなかった商品を除外したり、次に別のものを選ぶのに成分のうち合わなかったものに当たりをつけてそれを避けたりしながら、より自分の求めるものに近いものを選び(Action)、それを繰り返す。
このサイクルを繰り返して、アイテムの選択とお手入れ方法を常に刷新していく。もしかしたら、特段コスメ好きというわけではない人でも、自然にこれくらいはやっているかもしれない。
レビューがあんなに苦手だと言っていた私でさえ、鏡は見る。これもりっぱなレビューというわけである。
スキンケアに興味がない人はどうなの?
では、肌もそんなに弱くなくて、スキンケアに対して興味がない人はどうだろう?
肌荒れせず不満のない仕上がりで、できるだけ手間がかからず最低限の手入れができるものを見つけたら、あとはそれらを洗面台にまとめて置き、決められた手順で朝晩使って、予備がなくなったら買い足す。というサイクルで、困ることなく運用することができる。
こうしてみると実は、興味がないことほど仕組み化・自動化していることがわかる。
これというアイテムを選ぶまでは、最低限、上記のPDCAサイクルを回して、そしてブラッシュアップの必要がなくなったら自動化する。
実は、私たちはこの「仕組み化・自動化」を、生活のいろんな場面で自然に取り入れている。
無意識に仕組み化・自動化していることはこんなにある
たとえば、通勤のために毎日同じ駅でタッチするためのICカードを、決まったカードケースに入れてすぐ取り出せるようにしているとか。
たとえば、ゴミを出す時だけでなく家の中でも分別する場所を決めてあるとか、朝決まった時間に会社に着くために、毎日同じ時間に目覚ましをかけるとか。
髪を切ったばかりなのに、必ず二ヶ月先に美容院の予約を入れて帰るとか。
鍵を決まった場所に置くのも、決まった場所で寝るのも、乗り換えに都合のいいように同じ車両に乗ると決めているのも。
すべて「仕組み化・自動化」であり考えなくても勝手に回るようにするためといえるだろう。
そして、この「たとえば」の中に頻出した「決める」という言葉。
仕組み化・自動化ってつまり、決めてしまうことなのだ。
仕組みを作ることは、自由を作ること
このように、生活の中でこだわりなく、無意識にできていることほど仕組み化・自動化されている。
それはなぜかというと、自動化してしまえば最も小さな力で回すことができるようになるからだ。
動きが少なくてすむだけでなく、意識しない、ということそのものが大きなメリットになる。
普段歩いて生活している人なら、考えなくたって右足と左足を交互に出して歩けることと思う。
それが自動化されていることで、景色を見たり、鼻歌を歌ったり、おしゃべりをしたり考え事をしたりしながら難なく歩くことができる。
そう、自動化されていると、そのぶん意識を他のことに費やすことができる。
私は片付け術や手帳術やガジェットに興味がない。……わけではないが、少なくとも、それが最もやりたいわけではない。
それを趣味にしたり仕事にしたりしたいわけではないからこそ、自動化することでそこにかかる時間や手間やお金を最小化することができ、もっと自分がやりたいこと——音楽制作や、自分の歌をもっと高めることを思う存分にできる自由を得られると考えたのだ。
仕組み化・自動化ってつまり
いつしか苦手意識の象徴になってしまった「習慣」
ここまでさんざん仕組み化・自動化と書いてきた。
これって、実際に仕組み化できて、自動化できて、それが定着すると?
つまり、習慣になるということ!
習慣がいかに大切なものかということは、もうあらゆる書籍やブログやテレビやなんかでさんざん言われている。
しかし、私にとっては習慣化って鬼門でもある。なぜなら失敗しつづけてきたから。
どんなに小さなことから始めても続かなかったり、小さなままフェードアウトしてしまったり、完全な足踏み状態になってしまったりして、すっかり「失敗」の手垢のついた言葉になってしまっているきらいすらある言葉、それが習慣。
もはや自分と最も遠いところに存在しているかのような気がしてしまう言葉、習慣。なのである。
なぜこれまで、「習慣化」がうまくいかなかったのか
しかし、これまでうまくいかなかったのは
- 土台のないところにに家を建てるに等しい「習慣」を作ろうとしていたこと
- 習慣がシステムとして機能していなかった、あるいはシステムに組み込まれていなかったこと
ということが理由だったのではないかと思う。
特に2.について、その歯車が全体のどの部分にあるのか、何の目的で動かしたいのかといったことがなく、ただ単体で、手動で歯車を持ってぐるぐる回していたにすぎない状態だった。
だから、自分が手を止めたら歯車もただ止まる。
残るのは「とりあえず、○日間は続けたゾ」という自己満足だけで、次に繋がらない。
要するに、「ただ、続ける」ことだけが習慣だと考えていたわけである。
だからこその、一歩踏み込んだ「仕組み化・自動化」
これはほんとうに、人によって向き不向きがあると思う。
とにかく小さな習慣を積み重ねて、「習慣化する習慣」が身につけられるなら、そのほうがやりやすいという人もいるだろうというか、そういう人の方が多いのかもしれない。
あくまで、私の場合は「これを習慣化するのだ」と考えるよりも「これを自動化するのだ」というほうが、ひらたく言ってちょっとテンションが上がった。
これを、ちょっと、ゲームやキャラクターなりきりのように楽しく。
自分を楽しい実験台にしてみようじゃないか。
そういう流れで考え出したのが「オートマタ化計画」なのである。
ね、ちょっとレトロなアナログギミック感があって、いいでしょう?
次回は、具体的にどんなことをしたのかお伝えしますよ!
コメント
[…] 自分オートマタ化計画 | haLuna's Journal より: 2019年1月24日 2:33 AM […]
[…] 自分オートマタ化計画 | haLuna's Journal より: 2019年1月26日 9:50 AM […]