限界的練習〜「超一流になるのは才能か努力か?(原題:PEAK)」を読む その1
こんばんは、haLunaです。
今日は水曜日。
水曜日のブログテーマは
です。
今日は、まさに今読み始めた本についての書評……というより所感を書きます。
読み始めたところで、現在第2章まで読み終えた状態なのですが、敢えて読み進めながらの感想を連載でお送りしようかなと。
限界的練習とは?
超一流になるのは才能か努力か?(原題:PEAK)
今日手に取ったのはフロリダ州立大学心理学部教授アンダース・エリクソン氏とロバート・プール氏共著の「超一流になるのは才能か努力か?(原題:PEAK)」。
ちなみにこの書籍の正しい情報や原題を確かめようと思ってググったらjMatsuzakiさんの記事が出てきたので、気になった方はそちらもご参考に。
リアルタイムに、私と一緒に「おー!」となってみたい方はどうぞ、しばしおつきあいくださいませ。
最近、「限界的練習」という言葉を何度か耳にして、それについてはこの本が詳しいよと教えてもらったので読んでみることにした。限界的練習。まずもって、いかにも私が好きそうな響きであることは間違いない。
効果の上がる練習があるなら試したい。そんなふんわりとした印象から入った。ひとまず、どういう内容なのか予備知識がまったくないまま読み始めたのだが、「限界的練習」という手法についてメソッド的に解説している本なのかな……くらいに思っていたら少し違った。
どちらかというと論文に近く、両著者が30年の年月をかけて行った研究についての成果がここに述べられている、というものらしい。(何度も言いますが、まだ序章〜第2章までしか読んでいないので、どこに着地するのかはわかりません!)
序章〜第2章までのざっくり所感
まず、音楽についての話題がけっこう出てくる。しょっぱなから絶対音感(!)の話に始まり、訓練の仕方による実験、練習への取り組み例、また細かい指の使い方などのフィジカルな方面でも。
間でスポーツの話が出てきたりもするし、軸となっているのは暗記に関する実験のことであったりするにも関わらず、とにかく音楽の話が頻出する。
この理由はよく理解できて、音楽というのは総合競技なのだ。つまり、感覚の部分も当然ふんだんに使うし、楽器演奏であれば運動能力、運動神経も密接に関係している。
そしてそれらがすべて「脳」というコアでつながっている。
あらゆる方面で「限界的練習」が発揮する効果について、音楽的訓練が網羅しているといっても過言ではない。
序章 絶対音感は生まれつきのものか?
概要
絶対音感が訓練によって身につけられるものであることや、1万人に1人といった激レアな能力ではないことは、現代に生きる私たちにとってはよく知られた事実である。しかしかつては、それほどまでに稀有で、しかも後天的に体得することが難しい能力だと信じられていたそうだ。
この章では神童と呼ばれたモーツァルトのエピソードを柱にして、「潜在能力」というものが生まれついてのものではなく創りだせるもの、ということを説明している。
それを創りだすためにはただ努力をするのではなく、「正しい訓練」を継続すること。
そして、「正しい訓練」はどの分野においても——スポーツのでも音楽でも文章を書くということでも共通している、とも著者は述べる。
もう少し詳しく述べると
人の能力を分けるのは遺伝的性質よりも人間の脳と身体の適応性であるという。
つまり、生まれついての才能の差よりもずっと重要なのは「正しい訓練を十分な期間にわたって継続し、それに適応すること」。
そして、その適応性は誰にでも備わっており、傑出した人々はそれをしっかりと活用したということだと書かれている。
つまり
私をはじめ、何かの能力を伸ばしたいと渇望している人には超朗報。
だって、「正しい訓練」をみつけてそれを続ければ、生まれ持った才能や年齢にあまり関係なく伸びるよ、ということがまず述べられているのだから。
この時点でオラわくわくすっぞと思いつつ、次の章へ。
第1章 コンフォート・ゾーンから飛び出す「限界的練習」
概要
ここでようやく「限界的練習」の登場である。
第二章では、一人の学生が短期記憶の実験に挑むようすを軸にして、「限界」について、そしてそれを突破するに至った要素についてが細かにつづられている。
彼は最終的に、短期記憶で82個の数字を暗記することに成功する。
ここでは限界的ではなく「そこそこ」のレベルを身につける、いわゆる「普通の」練習法についても述べられるのだが、その中にこんな一文がある。
運転歴二十年のドライバーは、運転歴五年のドライバーよりも技術が劣っている
第1章 コンフォート・ゾーンから飛び出す「限界的練習」
どうして二十年選手のドライバーよりも五年しか運転経験のないドライバーの方が優れているのだろう?
運転手だけではない。医者も、教師も、テニスでもパイを焼くのでも同じだと著者は言う。
ここでは、上達してきて特に意識しなくてもできるようになると、同じ訓練を継続していてもそれは向上につながらず(一般にはゆるやかにでも向上をつづけると思われがちだが)むしろ劣っていくことが多い、という研究結果が記されている。
では向上しつづけているにはどのような訓練が必要か?
それは「目的のある練習」をすること。
目的のある練習を、著者はこのように定義する。
- はっきりと定義された具体的目標がある
- 集中して行う
- フィードバックが不可欠
- コンフォート・ゾーンから飛び出すことが必要
もう少し詳しく述べると
具体的目標とは何かというと、
たとえば「一日○時間練習する」といったようなふんわりした目標設定ではなく「この曲のこのパートを規定の速さでミスなく、3回連続で弾き通せること」のような、はっきりと成果が判断できる目標のこと。
集中して行う、はそのまま、周りの目すらも気にならないほど全力で集中すること。
フィードバックとは、やるべきことをきちんとできているかを練習中に受け取れていること。
人にコーチをしてもらうことだけでなく、ミスの原因や脈絡を正確に把握できるよう常に観察すること。
そして、コンフォート・ゾーンから飛び出すとは「楽にできる」というレベルにとどまらず、常にその少し上、あるいは少し外側に目標を定めていること。
つまり
なるほど、これは私も無意識に取り入れていた練習法ではある。
うまくいかないときは課題を探し出し、短いパーツに分けて、その部分だけの反復練習をしたりする。
その一回一回が「次こそ」「これでどうだ」という気持ちの取り組みになっている。
「これをノーミスでやれるまで続ける」という練習もする。
必ず録音して聞き返し、感覚と実際の誤差をはかる。
定期的に先生に見てもらい、自分では気がつけない部分やできているつもりでできていないことを洗い出してもらう、など。
ただ私の場合まだまだ、うまくいくと気分が良くなって、できることばかりやってしまう……という時間もこれと同等以上にあるので、限界的練習と言える部分の時間をもっと増やすこと、
それから、物理的にもコンフォート・ゾーンを出るということをもっと意識すること、が必要だと感じた。
それから音楽の練習だけではなく文章を書くということにおいても、コンフォート・ゾーンを出るということを意識するのはいいかもしれない。
たとえば、昨日このブログで書いたことはまさに、「コンフォート・ゾーンから出たくないよ」というふうにも取れるからだ。なるほどね!!!
第2章 脳の適応性を引き出す
概要
フィジカルな訓練と同じように、心的挑戦の場合でも実際に脳の一部が発達するという研究を、ロンドンのタクシー運転手の話に絡めながら述べている。
ロンドンの地理は入り組んでややこしく、そのためロンドンではタクシー運転手という職業にかなりの能力を求められるのだそうだ。
ロンドンのタクシー運転手免許は世界一難しい試験ともいわれるほどだという。
脳には空間把握や空間におけるモノの位置を記憶するのに関わっている「海馬」という部位がある。
タクシー運転手免許を取得した人は、その海馬の一部が発達して大きいことが述べられている。これは生まれつきではなく、免許取得トレーニング前と後とで比較して大きくなっている、という研究結果だ。
筋肉がトレーニングによって大きくなるのと同じようなことが、脳にも起きている。
そして、そのトレーニングの仕方によっては老眼さえも改善するとの研究結果も添えられている。
もう少し詳しく述べると
キーワードは「適応性」。
人間の体はできるだけすべてを同じ状態に保とうとする働きがある、つまり安定を好む(ホメオタシス)。
ところがそのホメオタシスを維持できないほどの負荷がかかると、体はそれに適応して新たなホメオタシスを確立する方向に変化する。
一定期間、コンフォート・ゾーンを逸脱するよう負荷を与え続けると、体の方が適応してそれを楽にこなせるように変化する。
例えば、右利きの人であっても弦楽器の練習を積むことで左手の指を司る脳が発達する、ということもそのひとつ。
いっぽう、並外れた能力を獲得することで別の能力(脳)が後退することもあり、またその能力を身につけても訓練をやめるとそれは元に戻っていく、ということについても書かれている。
つまり
今ある心身のホメオタシスに抗い、常に自分のコンフォート・ゾーンの一歩外に踏み出していることで、脳や体が適応し続ける=上達し続ける、これが限界的練習。
まとめ
ざっと読んで、これは自分の立場からすると希望しかないやつだな! というのがひとまずの感想。
限界的練習のアウトライン、脳の発達について、これまで自分が考えていたよりも柔軟な事実が示されていた(そしていくらかは、身に覚えがある)。
人の能力を伸ばすのに大人になってからでは伸びないということはなく、(ひとつ言える差異としては6歳頃までにある程度訓練した人と比べるとそれは劣るというケースはあるが)絶対的に結果的に追いつけないということでもない。
そして、むしろ習いたての2〜3年目の新人と30年のベテランでは、新人の方が優れている場合が多いというデータがあり、これは30年という期間コンフォート・ゾーンに留まることによって停滞もしくはやや退化するということがその理由である。
ところで、ここまで読んでどーーーしても頭から離れない仮定がある。
ここで述べられていることからすると、人間は(多少、器質的な面で衰えがあるにせよ、その要素よりもはるかに)年齢によってではなくコンフォート・ゾーンに留まることが人を停滞させ、それを老化と感じさせているところがあるように読める。
そしてこの理論が正しいのであれば、人は細胞レベルの老化さえも(少なくとも、一般的に認識されているより)ずっと少なく抑えることが可能なのではないか(実際、老眼についての検証もなされていた)。
ここで論じられているのはすべて脳の問題であり、同時に筋肉や細胞の問題でもある。であれば、これは能力のみならず心身の状態そして見た目の老化についても関係してくるのではないかという興味だ。
なんにせよ、つづきを読むのが楽しみ。
(つづく)
コメント
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