誇りある自分であるか? 誰かの誇りを守れるか? 〜火曜日・お題blog

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道理で、いつもいつもコレ一辺倒なわけだよ私の人生とてもシンプル、な話。

こんばんは、haLunaです。

今日は火曜日。
火曜日のブログテーマは、「夢ややってみたいこと、好きなもの愛するもの、夜blog(自分の中に深く潜っていく感じの記事に「夜blog」とタグ付けしてあります)、ちゃんとしたコラムとかそういう記事など」。

今日はこのなかの「好きなもの愛するもの」「ちゃんとしたコラムとかそういう記事」に近いかな?
今回も、ひらめきラジオからのお題からいきます。

あなたの基本理念はなんですか?
(小さい頃から一貫してブレない、あなたの芯はなんですか?)

です!!

では、はじまりはじまり

基本理念、というと、普通は個人より企業や団体に存在するもので、個人でそれをことさらに掲げている人は少ないのではないだろうか。
かくいう私も、ついこの間までは敢えて考えたこともなかった。

その理由のひとつは、そのようなことを考えるきっかけがなかったということが言えるし、
もう一つは「考えるまでもなく、」といったことだったからかもしれない。

「ついこの間まで」と書いた通り、そう、ついこの間、私は自分の「基本理念」を明確にしたばかりである。

……改めて読み返してみると、お題に対してはこの記事で十分に語られてしまっている気がする。
なので、もう少し違うことを書いてみようと思う。まぁ、9割方は与太話である。

「誇りを持って生き、その『誇り』に適った生き方をする。そうして自分を心の底から肯定して生きて、そして死にたい」
「同じく、自分の隣にいる人の中にもその『誇り』があるのだと知り、それが損なわれるようなことがあればたすけたい」

そして誕生日の誓い!! その2〜自分の信条となることを書きます。より

こうして読んでみると、この記事の「信条」は、少々回りくどいというか、持って回った言い方だと感じる。
それもそのはず、実際にノートに書いた「信条」を記事にするにあたって、誤解を招かないように、齟齬のないように、付け足してていねいに整えたものだからだ。

誇りという言葉は難しい。プライドって言うともっと難しい。ものごとには両面がある。過度の誇らしさは傲慢や孤高を想起させる。私は「誇り」という言葉がとても好きだが、いつも自分を誇って見せる人は好きではない。

当初、ノートに書かれていたほうの言葉をそのまま書くなら、こうだ。

誇りある自分であるか?
誰かの誇りを守れるか?

私の、「小さい頃から一貫してブレない芯」ということを考える時に、それそのものよりも、それがどこからやってくるのかということの方に関心を持ってしまう。
それほど、物心つくかつかないかのころからそれはあった。自分でも不思議なくらい強く。

私の通っていた小学校では、卒業式の前に「将来なりたい姿」をあらかじめ書いておき、ひとりひとりが卒業証書を受け取るのに合わせてスクリーンに映す、ということをやっていた。
皆がそこに、なりたい職業や夢を書いていたのに対し、私は
「正々堂々と生きる」
と書いた。何の疑問も持たなかったし、周りと自分が違うことも全く意に介さなかったと思う。
何がそうさせたのか今もわからないけれど、この時に書いたことがいわば「信条」であり「基本理念」であったのだと思う。


無論、それ以来今に至るまで正々堂々と、清廉潔白に生きてこられたわけではない。
むしろ、辿った道というとそのほぼ裏道に近い。
にも関わらず、どういうわけだか土壇場で顔を出す信念のようなものはいつも同じ顔で私を覗き込んだものだ。

それがあったから、なんとか今があると言っても過言ではない。
(多少なりともまっとうであると言っていいのならば、だが)


そんなわけで、どうやら私は基本理念を明確に持っている、というより、ほぼほぼ基本理念でしか動いていない(それもどうなのか、という話ではあるが)。
私の行動原理はじつにシンプルだと自分でも思う。
シンプルであるがゆえに、そこから外れたら悲しいかな、自分が一番早くそれに気がつく。

もちろん、迷うこともあれば、そう、人の手や耳や口を借りることもある。

理念は理念であって、現象として完全にはなり得ない。行動もまた然り。
私が「それ」に適っていると、どこまでも言い切ることはできない。
いつも、誘蛾灯の周りをぐるぐると、微妙に近づいたり離れたりしながら舞うようにしてそこにいる。それでも、光の方を向いていれば遠く流されることはない。

私にとっては、生きるための信条も、信仰も、全く変わらない。
クリスチャンになる前と後で、私の「基本理念」は一文字も変わっていない。きっと。

それを幸せな人生だと思う。
……うん、違うな。それを求めるだけで幸せでいられることをこそ「理念」というのかな。

誇りある自分であるか?
誰かの誇りを守れるか?


さらに踏み込んで言うならば、
私にとっての「誇り」とは、心に適った自分でいられることだ。

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