私なりのやりたいことの見つけ方
こんばんは、haLunaです。
今日のテーマは、ひらめきラジオからのお題。
私のやりたいことの見つけ方
です!!
「やりたいことが見つからない」という悩み……
とはいえ私は実を言うと、「やりたいことが見つからない」という悩みを持ったことがない。おそらく一度もない。
物心ついた頃から今まで、音楽はずっと自分のそばにもっとも眩しいものとして存在し続けていたので、そこからブレることはなかった。
ただ、音楽のメインストリームを一時的に離れたり、別の道に入ったり、今も同時進行で音楽以外のことに手を出したりという経験はたくさんある。
また、情熱を「探した」ことはないが、情熱を再確認する瞬間は何度もあった。
そういうことについて書いてみようと思う。
心の琴線が動くことを見つける
どんな時に心が動きますか。
どんな景色に出会った時に、立ち止まって空を見ますか。
やりたいこと、はきっと、子どものような心の中にある。それは事実かもしれない。
そして、それはとても見つけにくい。
自分の心と対話することなんて、簡単そうで一番難しい。
でもそれだけがすべてかというと、そうではない。
大切な存在もしがらみも等しく持っている「大人の」私たちが、もしも文字通り「子どものままの心」でいることが正しいのだとすれば、人間は成長も成熟も求められてこなかったはずだ。
子どものような純粋さをある部分に持ち続けて、そのまっすぐさで「やりたいこと」に向かっていける人もいれば、
そうして大人になる過程で生まれたものの中……しがらみや煩わしさとセットになっているようなことの中に、自分が本心から「やりたいこと」を見出す人もいるだろう。
ただ、共通して言えると思うのは
「やりたいこと」の前には必ず、心の琴線が動く
のではないかということ。
仕事になる、ならないをひとまず横に置いてみる
「これが、私のやりたいことです」
「それは仕事になるの。で、それで食べていく自信あるの。狭き門なんじゃないの」
この怒涛の応酬を先読みしてしまって、「やりたいこと」を口に出せなかった経験がある人は多いのではないだろうか。
私? もちろん数えきれないほど言われたし、口をつぐんだことも数知れず。ひっそり持ち続けていたこともあれば、気持ちごと行方不明になりそうなことは何度もあった。
ひとまずそれ、置いておこう。
どんなに現実問題、直面しなければならないとしても一旦置いておこう。
琴線って文字通り、弦なので。
弦は、やわらかく、自然に保っていないと上手にふるえない。
ガチガチに握りしめたり、使わなさすぎて劣化するまで放置した弦ではうまく鳴らない。
もう、「そんな安直な!」と言われること覚悟で書くけれど、心は一番大事だ。やりたいことの前に心をやわらかく保つこと、心を健やかにしておくことはあらゆる面で大事だ。
自分の心を押し込めにかかってくるものにまず気がついて、自分の心を守ることは本当に大事だ。
情熱は、自分の心の生きた部分からしか生まれない。
でも、9割錆びついてしまっていても、情熱によって生きていることを思い出すこともある。
その残り1割から出た情熱が、死にかけていた9割を蘇らせることもある。
心の生命力はすごいのだ。
私が情熱を「思い出す」とき
私も社会の中で生きていて、まだまだ自分が一番やりたいことで生きているとは言いがたい中で、心が屍になりかかることもある。
もちろん、一番やりたいことを仕事にしたあとにもそれは起きると思う。生きている限りそういう時はある。
そういう時に、最も強く自分の情熱を取り戻させてくれるもの。その感情は、私の場合、
憧れ、焦がれ
なのだと思う。
それは人に対する憧れの場合もあれば、「そのもの」に対する憧れのこともある。
ものすごく心を揺さぶられる音に出会ったら、やっぱりいてもたってもいられなくなる。そうして、「あぁ、これがやりたかったんだった」と軌道修正される。
音楽の仕事をする中でさえ、知らず知らずのうちに自分を押し殺して意に沿わぬ方向にいったとき、この現象に何度も助けられた。
音楽が全身の細胞に染み渡って、沁みすぎて痛いんだか嬉しいんんだかわからない気持ちで、何度大泣きしたことか。
いつも、どうして泣くのか不思議だけど涙が止まらなくなる。「あぁ私生きてた!!」っていうような、なにか強い揺さぶりで、どういうわけだか泣いてしまう。
おぎゃあと生まれた時の、びっくりするような刺激と痛み……そして、喜びの反芻。
もはや覚えていないけど、はじめて音楽と出会った瞬間を追体験しているのかもしれない。
強く拒否することの中にも、やりたいことが隠れている
ところで、「やりたいこと」の兆候は憧れや焦がれる気持ちといった「正方向」の感情だけに現れるわけではない。
今の生活、今の仕事をしていて、ささいなことで嫌気がさして、ああ、なんでこんなことしてるんだろう、と思ってしまう時。
よく考えたら仕事そのものが嫌いなわけじゃないのに、「あぁ、これじゃない」と強く思う時、その裏側に実は「やりたいこと」が隠れていたりしないだろうか。
「これじゃない!!」と思う時、そこには「これじゃない何か」がきっとあるはずだ。
私が音楽の仕事で「意に沿わぬ」ことをしていた間にも、考えてみればたしかな違和感が自分に存在していて、自分に対して全力で信号を送ってきていた。
その違和感が、情熱をブーストするなにかと出会った時に、ジェットエンジンのように作用して推進力になった。
私のやりたいことはこれじゃない、なんか違う。……そう思ったら幸運のサイン。
そう思って耳を傾けるようにしている。
やりたいことを見つけたいですか?
明日死ぬとしたら24時間で何をしたい? あるいは、24時間かけて何に対して後悔するだろう?
もう、なりふり構ってるような余裕もないとなった時、いろんなしがらみをこの際捨てて、やってみたいことがあるだろうか?
安心してください、明日の明日の明日の明日の……何日かあとの明日には、必ず死にます。私も、あなたも。
何万日かもしれないし数日かもしれない。
その今日を自分のためだけに使うなら、何をしますか。
あなたはどうして自ら望んで、今日この世界のその場所にいますか。
そこにいるあなたを最も強く肯定させるものはなんですか。
私はよく自分に問い直す。
この問いで出てくる「やりたいこと」は、音楽だけではない。
もちろん、死ぬまでに作ってしまいたい音楽もある。見たい(音楽での)景色もある。
だれかに会って伝えたい思いもある。仲間との時間を持ってひとりずつハグしたいとも思う。
山の上から日の出を見たいとか、明日ダウンするからって遠慮してやらないスポーツだって、明日のことを心配せずに思い切りできるんだなとか。
24時間だけなら思い切り自分を肯定して、さんざん感謝して過ごしてみたいとか。
やりたいことはたったひとつでもない。
そこに自分にとって大事なものがあって、有形無形の「やりたいこと」があって、それは人生にとってお金に関係なくたしかな「価値」だ。
間違ってはいけないのは、そういうことからしか音楽は生まれないということなのだ。
結局、最も大きな価値は、そこに立ち返るたくさんの小さな価値に支えられている。
その根幹は(しつこいようだけど)心にこそあるのだと、結局そこに行き着く。
あくまで、私の価値観でしかないけれど……。
まとめ
「私は自信を持って『これが得意だ』と言える」
「これになら一生を捧げても後悔しない」
……とまで言い切れるものを見つけるのは、たしかに難しいこと。
でも、「心が動く瞬間」ならば、誰にでもあるのではないだろうか?
それが、一見とても小さなことだったり、自分ではなく人のことをサポートするようなことだったり、仕事になりそうもないと(少なくとも現時点で)思えるようなことだったりしても、そのとき心が確かに動くのなら、それはきっと「やりたいこと」の方を指し示している。
喜びと苦しみが、「やりたいこと」の方へ自分という船をすすめるための羅針盤になってくれると、私は信じています。
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