まだ誰も作ったことのない音を作る〜火曜日blog・夢を語る

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夢を語るぞ

 

さて、風邪引きハルナです。病院の薬をもらってだいぶよくなりました。
そして火曜日です。

火・土…夢ややってみたいこと、好きなもの愛するもの、夜blog(自分の中に深く潜っていく感じの記事に「夜blog」とタグ付けしてあります)、ちゃんとしたコラムとかそういう記事など。
というわけで、今日のブログ記事はこんな感じ。

まだ誰も作ったことのない音を作る

 

言うは易し、行うは難し。そんなことはわかっている。
でも、思わずにいられない瞬間がある。

 

それは雑多な音楽に耳を貸し、雑多な情報に翻弄されながら「悪くない」「どれもこれも優れているような気もするし、同時にこんなもんかって思う、だけど『こんなもんか』って言えるほどのことを自分ができているわけでもない」という思いで日々過ごす中で、彗星のように胸のど真ん中に飛び込んでくる音を見つけた時。

 

そういうとき、以前の私は「こういう音を作りたい」と思っていた。

 

最近はそれが少し変化した。

「まだ誰も作ったことのない音」を、はっきりと望むようになった。

 

 

自己開示とそれに伴う欲求の変化

 

ここで自分の言葉を毎日綴るという習慣を持つようになって3ヶ月以上が経ち、内容が薄い日を挟んだりしながらもとにかく書き続けるという目標を掲げ、愚直にそれを守ってくることができた。
決め事にしてしまうとむしろ外れるの難しい性分が、こんなところで功を奏したというわけだが、気がつけば連続更新100記事をとうに超えていた。

毎日、嫌でも(嫌だということはほとんどないが)文字を書くという行為をしていると、思いがけないところから自分の思いが噴き出してきたり、溢れ出たりにじみ出たりということが起こることに気がつく。
さあ書くぞ、と腰を据えて書くことだけが「自分の考え」ではないのだということを、書き続けることで初めて知ったかもしれない。

 

そのようにして毎日、柔軟に自分の思いを表に出すという習慣をつけると、これが文章でなくても、ちょっとしたこだわりで押さえ込んでいたものや思い込んでいた癖みたいなものが一緒にやわらかくなって、徐々に自分自身の「顕れ方」が変化し始めた。

 

アクセス数を気にしなくなった

 

そんな風に、自分を存分に発露するための「場」としての役割を重視し始めたので、敢えて検索で引っかかりやすいことを意識したり、アクセスが増えそうなテーマを選んだりすることを、あるときぱったりとやめた。
このブログをどうしていきたいか、ということは、私自身をどうしていきたいか、ということでもあった。
あとから見やすい、人が見ても何かしら伝わりやすいものにしたいという思いは変わらないものの、そのためにテーマを選ぶというのは本末転倒だった。

「ブロガー」らしい振舞いというものを一旦脇において、自分が本当に構築したいもの、発信したいものを書くことに決めたのだった。(それには、仕事で記事を書くようになったことも関係しているけれど)

 

そうして、ブログを自分の記録、鼓舞、サポートするためのツールとして扱うとともに、本来の目標である音楽にフルコミットしようという決意を新たにした。のが、この11月のこと。

 

そして、今

 

心にスコンと刺さる音楽を聴いて、そこに顔を埋めるのでなく、「あぁ、私だけの音を作りたい」と思えたことはものすごい変化だと感じる。
要因はいくつかある。素直に「自我」が育ってきたということも感じるし、それ以上に、こうして自分の内面世界を言語化することを続けてきて、自分だけの景色がどんどん輪郭をあらわしてきて、そしてそこに棲む私というものをはっきりと自覚するようになった結果、自分だけの景色と重なる音がすぐそこにあるような感触を持ち始めたからだと思う。

 

前以上に、カバーを歌うことでは物足りなくなってきた。

 

今、本当の意味で「自分の歌を歌いたい」というスタートにやっと到達したという感じがする。

 

心がついてくることほど、望ましいことはない。
はやく音にしたい。

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