Noと言うのは体にいい。

ライフハック

人に対しても、自分に対しても。

無理かも、と思った時に「まあなんとかなるかも」と考えて、現状(が向かおうとしているベクトル)を維持しようとしがち。

でも、そこで(知らず知らずのうちにだとしても)無理してやらなければ維持できないことならば、それはいつか破綻することだから。
習慣でも、目標でも、人間関係でも。
言うべき時を見極めて、ベクトルを変えるエネルギーを費やしてでも、断るということ。
人に対してNoというためにはまず、無理をしようとする自分に対して先にNoと言えなければいけない。
その意味では、人へのNoも自分へのNoも、どちらも同じことなんだなと思った。

私は昨日、自分に対してひとつ「No」を言った。
めちゃくちゃ予定が重なった一日で、夜になってもその日やるはずだったことが終わっていなくて、また夜更かししてでもこなさなきゃ、となっていたのだけど、
手をつけたとしても、途中で力尽きて気の休まらないまま眠りにつくことになるか、疲弊して疲弊して「もういやだ」って心で悲鳴をあげながらやりきって、消耗しきってすっからかんになるあまりやりきった喜びも感じることなく眠りに落ちるか、どちらかなのが目に見えていた。

だから、思い切って全部やめた。
まず明日の自分に対して、やり残したことを「申し送り」した。
そして、人に対してもリスケの連絡をした。
これで、今日の自分に残ったタスクがすべて消えて、驚くほど安心して眠ることができた。

 

 

私はもう長いこと、そういう風に眠っていなかった気がする。
大きな目標があることは日々を意味のあるものにもしてくれるけれど、一方で、焼け石に水感のようなものがあった。毎日が「道の途中」で、たったこれだけ進めても道はまだまだ遠くて、「眠っている暇などないのに」という思いの中、眠気に「敗北して」迎えるのが睡眠だった。
その気持ちとは裏腹に、年々、ロングスリーパーになっていくのがもどかしかった。

 

ところが昨日、そうやってきちんと申し送りをして、「終えて」から眠ると、あんなに忙しかった翌日なのに、日中眠くなることもなくすっきりした頭で過ごすことができた。
そういえば、睡眠は体の疲れ以上に脳の疲れを取るのに必要なのだと聞いたことがある。だんだんとロングスリーパーになりつつあったのは、この辺に理由があったのかもしれない。

 

私は脳を無駄に疲れさせていたなぁ、と思う。

 

気がかりなことを自分にたくさん残して、後ろ髪を引かれながら眠るのと、全部片してから眠るのではこんなにちがうものなのか。

 

 

いや、違うということはなんとなくわかっていた。ただ、そのような「快適な眠り」実現するためには、タスクをすべてこなすしか方法がないのだと思っていた。

 

やり残さないために、ちょっと無理め(くらいに思っているけど実際はすでにキャパオーバー状態)でも延長戦して、「疲れた」と自覚してからの「どくのぬま」状態で戦闘を続けて「あぁ、しんどい、しんどい、予定をこなすことはこんなにつらい」と脳に思い切り刷り込みながら翌日を迎え、
朝一番に「昨日の負け戦」と向き合いながら今日の戦いのことを考える日々。

 

……だから、この数ヶ月は「タスクの数を減らして、必ずできることだけに絞る」ということを心がけてはいた。この記事で書いたような工夫を手帳にすることで、だいぶ捉え方も楽にはなってきていた。
それでも、やり残しはどうしても出てきてしまう。

 

なんだ。夜のうちに、自分にちゃんと「これは今日やらないよ。Noだよ」って言えばよかったんだ。
それで自分に眠る許可をあたえてやれば、体ってちゃんと回復するんだ。
Noを言うのって、体にいいことなんだね。

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