地味で壮大な目標がありました。/通算100記事、今感じる「ただ書く」という行為が持つ大きな意味。

思うこと

ただ書くというそれだけのことが教えてくれた、いくつものこと

 

ひっそりと掲げていた目標

 

昨日のこの記事で、haLuna’s Journalちょうど100記事目だったようです!

 

そして、継続更新は53日目。

 

実はひっそりと、毎日更新を目標に、こつこつやっております。
一年つづけてみたい。そんな地味といえば地味な、しかし壮大な目標です。

続けるということの大変さ

最初の一ヶ月

 

最初(継続更新を決めてから)の一ヶ月の、まあ長かったこと!
病める時もすこやかなる時も、怪我した時も徹夜明けの日も
いくら書くことが尽きなくても、毎日って大変だって痛感しました。
ただ好きなことを書くことでさえ大変なのだから、「毎日続ける」ってどんなことでも大変だし、それをやってる人は思った以上に凄かったんだなと。

 

助けてくれたこと

 

そんなふうに、大変さを感じる瞬間もあった。正直、多々あった。今までしたことのないような怪我もあったし、
誰かから「そんな自己満足やめたら。腕も使えないんだから、最低限のことに留めて休みなよ」と言われている気がした瞬間もあった。

でも、続けていれば読んでくれる人がいて、数が増えなくても「好き」と言ってくれる人がひとり、ふたりといてくれればそれがものすごく力になった。

「求められる」ことのありがたさも、つくづく感じた期間でした。

そして、続ければそれだけ毎日、何かを振り返る。何かを深く考える。何かを読み取る、読み解く。
その時間が日常を濃くしてくれたし、書く前よりもすごく長かった。味わって生きているなあと感じる。

 

意味がなくても、ただ書く。ということの意味

 

何も狙わず求めず、あるときは数行しか書けないような日があっても、言葉は自分を支えてくれたと思う。

言葉は自分の心を取り出すものであり、同時に人と人をつなぐものだから。
何かに「しよう」と思わずとも、ただ書いているだけで意味のあるものになっていく。誰より自分自身のために。
それが、100記事書き終えて今、思うこと。

記念すべき100記事目がこれだったことも、個人的にはとても嬉しい感じがします。

最後に

 

それなりに教訓的なことを言えるとしたら、「育てたように子は育つ」じゃないですが、きっとブログも書いたようにしか育たないということ。
核に「自分らしさ」を据えていれば、同じような周波数を持つ人たちが共鳴、共振する。自分にとって居心地のいい人たちが集まれば、もっと楽しくなる。
そういう人たちに読んでもらえるなら、そのブログは間違いなく人の役に立っている。
人間関係も仕事選びもブログ書きも、結局根っこは同じような原理で動いていくのかもしれない。

だから好きなこと書こうぜ。おわり。

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