うごかない左手が助けてくれた〜万年筆の日大オフ会レポ その1〜

万年筆

「ちょっとさ、何か適当につないでおいてくれないかなあ」
「え、つなぎですか」
その日の幹事をつとめる江戸さんに言われて、たった今ステージを終えたばかりの私と多聞くんは顔を見合わせた。
「乾杯のコップが足りなくなっちゃってね。すぐそこで買ってくるから、それまで」

持ち曲は残っていなかったが、幸い、『グループ』の皆がそれぞれお気に入りの「エモノ」を使って書いた、「手書きカラオケノート」なるものがあった。
江戸さんが戻ってくるまでの間、私たちはその中から何か演奏することに決めた。
中学生の多聞くんが熱心にページをめくり、曲を吟味している。

 

──9月23日。世間的には秋分の日として知られているが、私たちにとってはもう一つの胸踊る日でもあった。
この日は「万年筆の日」という記念日でもあるのだ。

 

Wikipedeiaにはこう記されている。

 



 

スポンサーリンク

そんな、世界的に万年筆の記念日として知られるこの日、プラチナ万年筆取締役のお宅である乗附邸で、大規模オフ会が開催されたのである。
私と多聞くんはそのスタッフであり、また、そのイベントの中で1時間の枠を貰って、演奏を披露するという役目も任されていた。

 

「手書きカラオケノート」を書くのに使われた「エモノ」とはもちろん、万年筆のことである。
皆それぞれ、お気に入りの万年筆とインクで、一文字一文字を丁寧に、ある人は可愛らしいイラストとともに、またある人は素敵な縁取りを施した中に、またある人は走り書きのようなむき出しの心情をさらけ出して……思い思いに書かれた歌詞が並ぶ。
手書きの文字がこんなにも個性的で、固有の声を持って訴えかけてくるものだということを、万年筆の筆致とインクの濃淡はいつも教えてくれる。だから、万年筆はやめられない。
万年筆は、書かなくたって楽しい。万年筆そのものがそこになくたって「存在」する。
それほどまでに強く鮮やかな軌跡をのこす、美しい道具。それが、万年筆なのだ。

 

そんなカラオケノートから、多聞くんが選んだのは「たしかなこと」という曲だった。
小田和正氏の名曲じゃないか。なんていいチョイスするんだ中学生……。

それまで、既に大好きな曲ばかりを演奏してすっかり気分の良くなっていた私は、いつもなら到底口に出すことがなかったであろう「できるよ」を、考える前に発していた。
なぜか、できない気がしなかったのだ。
「キーがわかったら合わせられるよ」
多聞くんがアプリでコードを探している間、私も頭の中を検索する。
弾いたことはなかったが、歌ったことはあった。
ハーモニーは頭に入っている。キーはここで合ってたはず……。
アプリには前奏のコードが載っていなかったというので、
「じゃあ、私が前奏弾くから歌から入ってね」
と告げて弾き始める。音が、なんの抵抗も摩擦もなく、つるりとすべり出した。

このときの私には、なんらかの魔法がかかっていたんじゃないかと思う。
誤解のないように言っておくと、私は普段こんなに自信を持って弾けるほうではないし、いきなりの曲は「ちょっと練習させて」とか言ってしまうし、音はわかっても手がついてくる自信がない。
なんなら、練習した曲だって、自分入りの曲は嫌で仕方がないくらいだ。

 

だからこの日まで、全くもって真面目に、「弾き語りはもう、やめよう」と考えていた。

 

だって、ピアノ弾くことが楽しくないんだもん。自分一人になるのが怖いんだもん。人に聴かせたくないんだもん。
それまでの私は、明確に、自分が歌うために仕方なくピアノを弾いていた。
ピアノを弾くことで意識が散ってしまって、歌も自分らしく歌えていないと感じていた。
それがもどかしくて、嫌で仕方なかった。
もちろん練習もたくさんした。でも奥底に流れる「義務感」は練習では届かないところから湧き出ていたし、それは誰かに批判されたり軽んじられたりしたとき、いとも簡単に自分自身をへし折った。
「本当はこんなのが自分の音楽じゃないのに」
その思いが残っている限り、いいライブができるはずがない。

だから、ピアノはやめて誰かに弾いてもらおう、そうするのがいい、と思った。
10人にピアノを褒められても1人に貶されれば強固にそう考えたし、その10人がピアノを褒めてくれることさえ「歌の養分をピアノに取られている。だからほら、誰も歌を褒めてくれない」と感じて、落ち込んだ。

だけどこの時は、自分でも何かが違った。
とても自然に手が動いて、一人でも怖がらずに音を発した。間違えたってブレることがなかったのは、手と口よりも先に頭と心でずっと音楽が鳴っていたから。ずっと音楽が流れていたから、そこから外れることがなかった。
だから実は、一人で弾き始めたんじゃなかったのかもしれない。

 

演奏が終わってしばらくしてから、突然、ある人から話しかけられた。
通称「おっしゃん」。万年筆オンライングループではお名前をよく見かけていたけれど、会うのはこの日が初めて。そして直接話すのは、この時が初めてだった。

「『たしかなこと』よかったよ。ちょっとうるっときてしまった」
「あれが、一番力が抜けててよかった。構えた感じがなくて。それまでは、一生懸命演奏していたでしょう」

演奏を聴いて、うるっときた、なんて言ってもらえれるのは久しぶりだ。
おっしゃんの指摘したとおり、プログラムの曲は、多聞くんのギターと歌に合わせることに正直、必死だった。
それはリハーサルが少なかったこともさることながら、そのリハーサルの前日に私が左腕を負傷してしまって、当日にいたるまで満足に動かせなかったこと、予定していた演奏(自分ができるだけリードする予定だった、とくにベースパートつまり左手)が全く変わってしまったこと、などで、とにかく当日を「乗り切る」という気持ちの方が強かったためだ。

 

そんな本番が終わって、あたたかい空気の中でほっとしたところに、江戸さんからの「つなぎ」の申し出。
皆、歓談しているなかでのBGMという気楽さも相まって、とてもリラックスした中で、ふわりと始めることができた演奏。

 

そして。
「たしかなこと」は私が特別に好きな歌だった。
美しいメロディも、水面下で忙しく展開するコードも。
言葉も一字一句、余すことなく好きだった。
好きな気持ちがこぼれ出て、私はただ、それを指と声とで受け止めるだけでよかった。

弾いて歌う私に、この日やっと宿った「音楽」が、まっすぐに伝わったのかもしれない。
そのことをちゃんと伝えてくれるおっしゃんの存在が、どれほど嬉しくてありがたかったことだろう。

 

「受け入れられることをしようって思わなくていい。頑張らなくていい。そのまんまで。そういうあなたをいいと言ってくれる人が1人いれば、続けていれば1人が10人になるから」

そう言ってくれるおっしゃんも、昔はちょっとだけ音楽をやっていたみたいだ。

「両手が自由に使えるときって、なんでもできちゃう。なんでもできちゃうから、なんでもしなきゃって思ってしまうでしょう。
左手が自由に使えない、その中でできることをやるっていう姿が、人の心をうつんだと思うよ。
なんでもできると、人と違うことしなきゃとか、難しいことしなきゃってつい考える。(←Exactly! その通りです……)そうじゃなくて、自然に自分から湧き上がってくることをやればいいの。
大丈夫、あなたにはできる」

 

それまでどれほど自分の音楽を自分で縛っていたか、それを全部言い当てられるような、しかも愛と希望を載せて発せられた言葉を、一文字も聞き漏らさないように、忘れないように、脳の絶対消えないどこかに録音しておきたいと思った。
この日演奏して本当によかった。かけがえのない経験になった。
(この日「演奏してよかった」と思う思い出深い出来事がもう一つあるのだけど、それはこの次に書きますね。これだけでもう、忘れられへん一日だよ)

スポンサーリンク

そして、この日もやっぱり「ピアノがよかった」と褒めていただいたのだけど、これまでのように落ち込む気持ちは不思議と消えていた。
なぜなら、おっしゃんの口ぶりと、気持ちが、心底「音楽」を感じてくれたものだと思えたから。
ピアノだけがいくらよくても、歌が音楽じゃなかったらそうはならなかっただろう。
おっしゃんが感じてくれた音楽の中には、間違いなく、歌も寄り添っていたはずなのだ。
これまで気づかなかった、そんな当たり前のことが、するりと心に入ってきて、なにかあたたかいものが満ちて、胸にあかりが灯った。

うごかない左手と引き換えに何をもらったのだろう。1の不自由によって得た10もの自由。それは、掴んだと思っても、いつかまた忘れてしまうことかもしれない。
だからこそ、おっしゃんがめいっぱい言葉にして、それを伝えてくれたことがありがたかった。
口に出して耳に入った言葉は、思うだけよりも強く残る。
誰かが口にして、耳に届けてくれた言葉は、もっともっと強く残る。
思い出と一緒に。

(で、続く……)

コメント

  1. […] ても過去類を見ないほど楽しい思い出になりました。 この日は終わるのが名残惜しくて、前の記事で登場したおっしゃんと江戸さん、それに磯野さんにくっついてハシゴにハシゴを重ね […]

  2. […] うごかない左手が助けてくれた〜万年筆の日大オフ会レポ その1〜「ちょっとさ、何か適当につないでおいてくれないかなあ」 「え、つなぎですか」 その日の幹事をつとめる江戸さ […]

タイトルとURLをコピーしました