怪我にかまけて何も出来ていない、と捉えることも、そうではなくて代わりの貴重な経験をしていると捉えることもできる。

思うこと

そしてそれは、どう捉えるのが正解であるという話でもないのです。

死ぬこと以外かすり傷、という言葉を、とある方のblogで見ました。

死ぬこと以外はかすり傷って言うけれど、かすり傷でも痛いもんは痛い

それは励ましになることもあれば、人を追い込むこともある言葉。(ってか、励ましの言葉って総じてそういう両面があると思う)

多くのことはトレードオフなんですきっと。
空のコップには何も無いかというと、水がない代わりに空気が入っている。

水がないから、ほかのコップよりもたくさん空気に触れている。それはほんとう。

でも水もどこかで得なければいけないことには変わりないし、なにかで代用することはやっぱりできないから、「空気があるならいいじゃない」って話ではない。

どちらかを取るためにどちらかを諦めることが正しい訳ではないし、ましてや他人がそれを言うのもきっと違う。

だから、「でもね水がないと困るんです、水が欲しいんです」ってちゃんと言っていい。

そう、怪我の話でした。
不自由が自由を生むという体験をはじめてしているかもしれない。
右手と、左手の小指一本だけでピアノを弾いた時、そのことで得た精神の自由があったし、伝わった何かがあった。
人間が元々完全ではない上に、万全ではないというテーマがずっと流れている。
学びや気づきがたくさんある。学びや気づきがあるということは、それが本当に不便で不自由だからこそ、でもあるのだ。

どっちにも寄らず。

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