イタコ体質なんです。

日常と非日常のはざま

これ、けっこう何回か話してる気がする。

文字通り「イタコ」つまり亡くなった人を呼んだりするという意味ではないです。
(しょっぱな余談ですが、茨城の「潮来(イタコ)」という地名を初めて聞いた時は、あのイタコさんとなにか関係あるのかな? と思ったよね)

そういえば、二つ前の記事

Light Dance/私のイメージソングを考えてもらいました
お友達の、みめちゃん(@mimeitono)が、私のイメージで曲を選んでくれました! 柔らかい感じのコメントも嬉しい……。 自分が好んで聴くタイプの曲じゃなかったので、逆に新鮮でした。 ややこしく頭を使うことをやめて聴...

で紹介した「私のイメソン」を選んでくれたみめちゃんというお友達も、あるカウンセリングセッションを受けた時のことを「口寄せ状態」と表現していたな。そういう面ではちょっと近いところがあるのかもしれないな、と思いつつ。

 

ついこの間までは、これは私の「歌う時」の状態をたとえたものでした。
自分を、ずっと「筒」って言ってました。
歌のスピリットが降りてきて、ただ私の中を通って、私を使って外界に出ていく。そんな感じ。

 

そういえば、この表現をちょっとだけ避けてた時期がありました。
そのきっかけははっきりと覚えていて、
とある、ボイストレーナーをしている人が、これまたとある歌手の人がテレビでドキュメンタリーに出ているのを見たそうで、その時に、
「うーん、ダメ。降りてこない」
と言って休憩を入れたりするシーンがあったそうなのです。
私はそれを聞いて「あっわかる」と思っていたのだけど、
そのボイストレーナーさんが
「やばいよねwwww」
と言ったんです。それが衝撃で。
歌う人ってみんなそう(降りてくる)のだと思っていたし、そうじゃないタイプの人も、そういう歌い方をする人がいるということを認識しているものだと思っていたので、まさか「やばい」と笑われるものだとは夢にも思っていなかったのでした。それも、仕事にするほど歌を歌う人に。

それからなんとなく、自分の感覚についてはあまり無闇に話さない時期があった、ということです。

しかし、最近自己開示が捗っている流れもあって、再び言えるようになってきました。よきよき。

 

自己開示が捗っている大きな理由のひとつは、やっぱり、ブログを何かしら毎日書いているということ。
もともと、書くネタに困ることはまあないだろうという根拠のない確信があって始めたことではありましたが、それにしても、「なんにもネタがねぇや」という状態で入力画面を開いても、かならず言葉は出てきてくれる。これがふしぎでした。

ずっとふしぎだったのですが。
でもよーく考えてみれば、病気でない限り一日一回は必ず覚醒している時間があるわけで、その時間に「言葉」を完全に排除して暮らすことができる人はほぼいないはずで。
であれば、活動しているあいだ、かならずどこかで新たな言葉と戯れているわけです、誰でも、毎日。
(新たな言葉、というのはなにも語彙のことではないのです)

外界が物質的なことで動いている間、その裏側で私たちの内面も常に言葉によって認識され、整理され、ときに組み換えられて、その一部が口や手から発され、他者の言葉と交わりそしてフィードバックして生まれ変わった自分の言葉が蓄積されていく。毎日、毎日。
これはすごいことだと思います。一体どれだけ、ひとは考え、感じ、交わってそして学んでいるのかと考えると、同じ日は一日として存在しない、ということの意味を感じることができます。

 

イタコ、の話でした。
以前は、歌のことをそう表現した、と書きました。今はもうひとつあります。これです。文章です。

たとえば。
昨日の記事は、全くのノープランでただつらつらと書きました。それだけでなく、自分が何を書いていてどこに着地するかという計算も一切しなければ、書き終わった直後にはもう何を書いたか忘れている、というような状態でした。
だから、翌日読み返したときは新鮮でしたし、その中でそれなりの熱量と整合性を持っているということが、とても興味深かったのです。
他人が書いたもののように、自分の書いたものを楽しめる日が来るとは思いませんでした。

自分の軸を持ちたい。
って、また、万年筆のことじゃないですよ!(※万年筆仲間の間では、どんなペンも簡単に「軸」と呼んだりします) なんか、そういうことを考えさせられる日だった。 またちょっとインプットが多かったこともあるし、人と話したということもあるし、...

イタコともいえるし、瞑想にも近いのかもしれない。
今私の根底に流れているテーマ、が自然に浮き上がってくる。狙っていないから、不自然に道をつけるのではなく、結論ありきでもない。
言葉って有機的に流れるんだな、と、回を重ねるごとに強く感じるようになってきています。

 

私の好きな聖書の言葉に
「主の道を整え、その道をまっすぐにせよ」
という言葉があります。洗礼者ヨハネの言葉です。
私にとっての歌や文章(を通す「筒」としての自分)はまさに、これなのです。
私がその道の真ん中を通ってなにかするのではなく、降りてくるなにかをただただまっすぐに通すだけ。
それが最も理にかなって美しい、と信じているのです。

 

今日もこうして、盛り込むネタも決めずに「イタコ」というお題だけで、思考はリアルタイムに廻って言葉の糸を吐き続けます。途切れることなく。
そして、私がさほど苦もなく毎日文章を書いていられる理由を、頭ではなく手が教えてくれるのです。

コメント

  1. […] haLunaさんのブログ記事↓https://utausagi.com/?p=1265 […]

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