そうだ、私たちには言葉がある。

日常と非日常のはざま

「言葉が、好きだから」
10年以上も前に聞いた、ある少年の言葉。
そのとき、妙に私の心に刺さったことが、時を超えて急に蘇ってくることがままある。
その中でも、このセリフはお気に入りのひとつだ。

もう、君は忘れてしまっているだろうな。それはたしか、演劇の脚本だか、好きな作家だかについて話していた時のこと。君も私と同じく、文章を書くのが好きで、そして私よりもずっとたくさんの本を読んでいた。
どんな流れで出た言葉だったのかは、残念ながらよく覚えていなくて(むしろその言葉の眩しさにかき消されてしまっていて)、ただその時の感触はよく思い出せる。今でもドキドキする。
「好き」という単語の色も相まって、一瞬、恋に落ちてしまうかと思った。ほんの一瞬、だけど。

「言葉」「が」「好き」「だから」……分解して並べてみれば、どれもなんの変哲も無い。
けれど、○○という言葉が好き、ではなく、言葉そのものが好き、言葉という概念が好き、という価値観がそれまでの私にはないものだったから、それはものすごく新鮮だった。言葉はなにかを示すものであり、それ自体に好きも嫌いもないと思っていたから。けれど、言われてみればまさにその通り、
私も、「言葉が、好き」だった。言葉に魅せられ、言葉を愛している。

 

大切に伝えたいことであればあるほど、不器用になる。

 

私は、前回の天狼院の記事を提出するのに、二週間もパスしてしまった。
正確には、一週目には一度出したのだけど、自分で取り下げた。
それはこの講座に申し込む前からずっと、ずっと書きたかった大切な想いについての文章だった。私はぎりぎりまで悩んで書き上げたものの、読み返しているうちに納得がいかなくなってしまったのだ。
何回読んでも駄目だ。テンポが悪い。無駄が多い。思いのままに書きなぐった言葉の断片を、ただ切り貼りしただけのものだとわかるような文章。きっとこれでは、読む人のなかで繋がってくれないだろう。
舗装されていない道を、車輪が何度もバウンドしながら転がって蛇行する景色が浮かぶ。
心の動きのなめらかな流れをそのまま持たせなければ、言葉は力を持たないのだ、と実感した。

「課題」としては出すべきなのは明白で、だめでも、落ちるとわかっていても、取り下げて一回お休みするより出してフィードバックをもらう方が絶対に有益だ。それに、自分のためでなく相手ありきでものを書く、ということにおいては何よりも、締め切りを守ること、守って成果物を出すことが最も重要だ。それは、数年の作詞家経験でじゅうぶんにわかっているつもりだった。
だけど、落ちるに決まっていると知りつつ、敢えて自分にこう問いかけてみた。

「これ、落ちちゃうのが嫌? それとも、通っちゃうのが嫌?」

答えは考えるまでもなかった。
言葉にはすべてが表れる。口の上手い人がいい人だとは思わないけれど、いい加減さはどうしようもなく目につく。
それを読むであろういろんな人の顔が浮かんだ時、言葉でいい加減なことをするのは絶対に嫌だと思った。
……三週間目にしてやっと書き上げたときには、涙がだーだーと溢れて、もう落ちても通ってもどっちでもいいやと思えた。とにかく書き切れたことが嬉しくて、もう世界のあらゆるものに感謝した。書かせてくれてありがとう、と思わずにいられなかった。

考えてもみれば、この私が、だ。
夏休みの宿題はできるだけ出さずにほとぼりが冷めるのを待っていた二学期、赤点を取らないように追試にならないように、そんなことばかり考えながらやり過ごした定期テスト。
決して勉強嫌いだったわけではないが、好きなことしか手をつけようとしなかったどころか、好きなことのなかでさえちょっとの我慢もきっかなかった学生時代。
「課題」「宿題」が呪詛のことでもあるかのごとく、耳に入るのすら嫌った自分が、今こうして「書けない、書けない」と呻きながらパソコンの前に座っている。
面白いものだ、と、くすっとしてしまう。
たかだか「大人の手習い」の課題を出せなかっただけでこんなに落ち込み、ただ書けたということに涙を流して喜ぶ。それほど夢中になっていることが意外で仕方ない。
それだけ大切な想い、大切に紡いだ言葉だったのだ、と思う。そして、絶対に絶対に手放したくも諦めたくもないのが、自分にとっての「言葉」なのだ。
「言葉が、好きだから」そう言ったあの時の彼の、あどけない目元や、ちょっとはにかんだような表情を思い出し、私は10年越しに「なるほどね」と答える。

言葉は、伝えるための道具だ。同じ時代の同じ時間を生きる誰かと「いま」をわかちあう道具であり、あとの時代の全く違う時間を生きる誰かに「この瞬間」を残すための道具。
遠い場所の見知らぬ誰かにだって、届けることができる。
言葉は事実を超えることはないが、ときに、事象を超えて何かを伝えることがある。想いや、熱量や、愛をも伝える。
私たちは言葉によって傷つくけれど、でも言葉によって傷ついたものはやっぱり、言葉によって救われる。
そして、こんな風に時を超えて、君と対話することだってできるのだ。

そうだ、私たちには言葉がある。

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